夏休みの読書感想文コーナー「カリギュラ2」
こんにちは。たゆってるです。今年に入ってから読んだ本は伊坂の新刊とウィッチャーの原作小説だけです。
現代人の読書離れの話題はさておき、ここ一年くらい擦っているゲーム「カリギュラ2」が感想文コンテストを開くので読書感想文を書きます。
多分ネタバレが入っていますが、知り合いにカリギュラ2をやる予定のある人はいないと思うので、気にせずやっていきます。
カリギュラ2、めちゃくちゃハマりました。前作の比じゃないくらいです。曲も死ぬほど聞きましたし、ストーリーも3周くらいしました。あとプロメテウスの塔も上りました。じゃあなんでそんなに自分に刺さったのか、少し考えてみたのですが「帰宅部のメンバーがあんまりにも普通の人」だからじゃないかって思いました。
いや超有名アイドルとかガチのギフテッドを普通は無理あるやろがいって話ではあるのですがそういう話ではなく。
例として自分の一番好きなキャラクターの能登吟を出します。あのキャラクター踏み込む前までのエピソードでは徹底して、いいやつってことと帽子の色以外これといった個性のない普通の人として描かれるんです。というか踏み込んでも別になんか変わるわけじゃないんでずっと普通の人です。
怖いですよね。カリギュラだからなんか抱えてるに違いないって色眼鏡と、カタルシスエフェクトでさらし巻いてたりハイヒール履いてたり…っていうヒントがあったから実は女なんじゃない?って気づけただけで、ゲームじゃなくて実際に接してたら絶対気づけない自信があります。見えないところではあんなに悩んでるのにですよ。
それ以外のキャラクターも「生真面目な風紀委員」とか「ちょっとヤンキーっぽい金髪の女」とか徹底的に学園もののステレオタイプをついてきます。これがカリギュラじゃなかったら「ああ、よくいるやつね」って読み飛ばしてしまいそうなキャラクターです。
そういえば山中さん(このゲームの作者)もインタビューで似たようなこと言ってた気がしますけど、そういう絶対読み飛ばすキャラクターにスポットを当てるゲームなんじゃないかなって思います。
その意味では小鳩は前作でさえスポットを当てられなかったキャラクターなので、本作にいるのは必然かもしれません。切子とパンドラのアイドル観のエピソードといい、ストーリーに組み込むのが上手いと感じます。
ただ、全部救うのなんて無理じゃないですか。確かに本作で小鳩については語られましたが、アストラルシンドロームから社会復帰ができない人は他にも大勢いるし、今作の因果系譜を見ればわかるように帰宅部たちのようなトラウマを抱えた人なんてごまんといます。
そこでカリギュラ2のラストシーンを思い出しました。
スクショ禁止区間なのでサントラのセリフから。
Reality may often feel a lot like hell.(現実は時に地獄のように感じるかもしれない)
You will continue to have manythings to regret about.(後悔することもたくさんあるだろう)
But keep your head up.(だが顔を上げたままでいろ)
There's nothing to worry about,(心配することはない)
you will always have X inside you.(キィはいつでもオマエの中にいるぞ)
母親のμはまさに「博愛」ですが、キィは作中でも「帰宅部の命か知らん人の命なら帰宅部を選ぶ」と言っています。
ゲーム中でもこのセリフは帰宅部に言ってたはずですけど、このパッケージではリグレットに向かって言っていますよね。
つまり「見かけたやつくらい救ってやろうぜ」って話なんじゃないかって。楽士と帰宅部の主張は相反している。みんなを救うのは難しい。でもリグレット(小夜子)をここで赦すことで少しでも救われるなら赦してあげるべきじゃないのか。そういう話なのかなって感じました。
おしまい。
追記:言語化、むずいな